Friday 27 September 2019

【2019年9月21-27日(土-金)】 今 僕のいる場所が 探してたのと違っても [協力隊174-180日目]

毎月第3土曜日は「だれでも食堂」の日。先月に続き、今月も個人的にお手伝いに来た。


「だんしー(男子)」と呼ばれ、厨房へ。カボチャを切るという大役を仰せつかった。力が要るし、危険も伴う作業。ボランティアスタッフほぼ全員ご婦人なので、これは僕がすべき仕事だ。3玉やっつけた。
押さえていた左手が痛くなったけど、しかし世のお母さんたちは人知れず、この苦労をしているわけだ。感謝しようね。


今回のメインディッシュは、青椒肉絲(チンジャオロースー)。調理担当の方々が、手際よく炒めていく。


開始は11時半だけど、早い人は11時前から。楽しみにしてくれているのだね。以降は、ぼちぼちお客さんが訪れる。


三連休ということもあってか、人は少ない。家族連れはおらず、ふだん来る子どもたちも少なく、ピーマンが原因かもという声もあった。


それでも25人ほどに提供したら、スタッフみんなで遅めのお昼ご飯。僕だけ大盛りにしていただいた。ありがたい。愛情こめて切ったカボチャは、サラダに。わいわいお喋りしながら、おいしく平らげる。


次回、10月のメニューは豚汁。文字通り誰でも歓迎なので、お待ちしている。


食堂のあと、夜には小一時間ほどの隣隣隣隣町へ。10月から稼動する食肉加工施設について、猟友会の皆さんに対する説明会があったのだ。僕はアシスタントとして、機材関係やスライド切り替えや質疑応答などを担当。


日曜には、とある浦臼の方のお宅にお呼ばれ。こちら、ユウガオの実なのだが、これが何になるのか分かる方は素晴らしい。ハグしてあげよう。


輪切りにしたら、桂剥きの要領で薄く長く切っていくのだ。


こんな感じで。根気のいる作業だけど、僕には向いている。たくさん切ったら、


干す。そしてこれが、かんぴょうになるのである。知らなかったね。良い経験をさせていただいた。


で、お昼ごはんもご馳走になってしまった。満腹です。


さらには自家栽培のトマトを狩らせてもらったり、


オクラの花なんて初めて見たり、


お野菜をたくさんいただいてしまったりした。助かるし、心遣いがありがたい。


休みは明け、こちらは減量化施設。木材チップ等に特殊な菌も混ぜ合わされ、一部は白く変色している。


発酵が進んでいるのか、温度は高い。もわん、とした室内には蒸気も確認できる。


ヘクサンボだ。いや、北海道では普通にカメムシと呼ぶようである。福井では春と秋に大量発生していたけど、こちらでは全然。たまに見かける程度だ。格闘していた日々が懐かしいな。


これは、食肉加工施設の一次処理車。シカを捕獲したら二時間以内に施設へ搬入しないといけないルールなのだが、それが難しい遠方などでは、こいつが活躍する。


車内で内臓を摘出し、冷蔵運搬するというわけだ。山の中など現地で処理するのは、食肉にする場合、衛生上ダメなのである。


当然だが、食肉加工施設も完成している。中を見る機会があったけど、まだ公開して良いのかは分からない。とりあえず、ここは一次処理室だ。


さて、週末の土日には、新そば収穫祭が開催される。ぼたんそば、という珍しい品種を用いて、各市町のそば同好会等が手打ちするのである。


その会場設営作業。8月の「味覚まつり」同様、簡易なテーブルとイスを設営。相変わらず陣頭指揮する人がおらず段取りが悪い、と皆さん口にしていたが、浦臼町の特徴なのか北海道の文化なのか。


テントを建てたり、


のぼりを設置したり。ほぼ一日作業となった。


さてこちらは、北海道生活という雑誌の10・11月号。の別冊。浦臼町を含めた24市町、空知(そらち)と呼ばれるエリアの特集が組まれている。


実は6月に取材を受けており、移住者として紹介されている。まあ当時は引っ越してきて三ヶ月だから、深い質問もされていないし、実際ページの半分だけだし、頭数を合わせたに過ぎないんだけど。
他の人たちは皆、店を開いたとか新規就農したとか所帯持ちだとか、「ちゃんとした」人たちだ。僕だけ、載るだけ恥ずかしい感はあるよね。

あんまりネガティブなことをブログに書きたくないんだけど、浦臼に来て半年、ずっとモヤモヤし続けているのだ。地域には未だに馴染み切れず、シカを獲りに来たはずなのに獲るなと言われ、猟友会からは目の敵にされ、そんなこんなあって蔑ろにされている感は拭えず、イライラが募ったせいか懇意にしてくれていた人とはギクシャクしたりして、その他もろもろ諸々。

最近、福井に帰りたい病が進行してきている気がするな。あの温かい場所は、今でも僕を待ってくれているだろうか。でもいま帰っても、生活の基盤も何も作り出せないんだよな。
いま何に耐え、何を生み出し、何を学ぶべきなのか。腐らず、見極めていかなければ。

きっと答えは一つじゃない、か。