というわけで、休暇に入る数日前の分から、まとめて記事を更新する。長めなので、おヒマなときにでもお読みいただければ幸い。
12月23(月)-25日(水)
4年前に緑のふるさと協力隊を修了し、福井県大野市に定住する際、譲っていただいた車。ポルテ、通称ポルちゃん。このたび、とうとうお別れをすることとなった。
あちこちガタもきていたし、2WDなので北海道の冬には厳しいし、車検を通してもう2年間というのは難しいかなと。
福井に定住して2年間、その間に本州・四国・九州を回る旅をして、東京に戻って1年間、そして北海道に来て9ヶ月間。あちこち傷つけたりステッカーを貼りまくったりもして、いろいろ無茶をさせてしまったけど、7万kmほども走ってくれた。ありがとう、感謝しているよ。ゆっくり休んでくれな。
相変わらず気温はマイナスの北海道。
水を持って雪の中を歩いていると、凍ってきやがる。
ついぞ、今月はエゾシカの姿を目撃することが無かった。キツネの足跡だけは散見されるし、民家のすぐ近くにも出てきたりするのだが。
25日の夜は町内の教会で、クリスマスの夕べに参加。所属するコーラスグループが例年、曲を披露しているのである。
写真は、その後の茶話会の様子。茶話というには豪華な飲食が並び、お腹いっぱいいただいてしまった。みんなで合唱したら、お開きとなる。メリークリスマス。
12月26日(木)
そのクリスマスを最後に、僕は年末年始休暇に突入。本当は30日の午前で役場の仕事納めなのだが、代休や有休を使わせてもらった。
軽自動車に荷物を詰め込み、走り出す。ちなみに、安全には最大限の配慮をしノールックで撮影している。
函館まで、地味に5,6時間。そこからフェリーに乗船する。
シャワー付きだ。ありがたい。トラックの運転手さんなんかも少なくないしね。
青森県に渡るまでが、4時間弱。少し走って、道の駅へ。ここまでで丸一日だ。
12月27日(金)
第2駐車場の端っこ。静かなところで車中泊したのだった。
天候が悪いとは聞いていたが、本当に悪かった。青森・秋田・山形と、吹雪いてるし道は凍っててガタガタだし、もう嫌。下道を、ゆっくり走る。ちなみに、安全には最大限の配慮をしノールック以下略。
どこかで食べた馬肉丼は、うまかった。そしてこの日は、新潟県の上の方で車中泊。
12月28日(土)
ここからは高速道路で。新潟県の下の方へ移動したら、
旧友と6年半ぶりに再会。カナダ時代、同じ英語学校の同じクラスで学んでいたのだ。つまり日本で会うのは初めてだね。当時は6人だけのクラスで、おもしろいメンバーが揃っていて楽しかった。
とっくに有効期限は切れてるし、更新する気も全く無いけどね。
寿司を食べ、カフェへ行き、少し近隣を案内してもらいながら、積もる話をする。相変わらずネアカで良いキャラの彼は、見習う部分がたくさんあるなと思わされるのだった。
話は尽きないが、お別れのとき。また近いうちに、会う機会があると嬉しいね。
それから富山・岐阜と移動し、温泉へ。じっくり浸かって、たっぷり汗をかいた。
牛乳、久しぶりに飲んだな。
そして、福井県大野市和泉地区に帰ってきた。
12月29日(日)
道の駅九頭竜。夏場は賑わうが、冬場は閑散としてしまう。
これは秋の写真。冬季以外は、テントやテーブルも設置されており、動いて吼える恐竜親子もいるんだけどね。豪雪地帯だから、片付けないといけない。
この地域は、岐阜と福井の県境、山の中に位置している。どちらの街へ行くにも車で30~40分かかるという、なかなかの陸の孤島だ。
かつては和泉村だったものの、いわゆる平成の大合併で、いまは大野市和泉地区。市の人口は3万人以上だが、ここは500人を切った。
それでも地元の人たちは、みんな和泉が大好きで、明るく楽しく笑い合いながら暮らしている。不便で大変なことも多いが、「ここに生き続けられるために」をスローガンとして、様々な挑戦などに取り組んでいるのだ。
一応その一つが、非営利カフェ・より処。
変わってない、懐かしい空間。落ち着くね。まあ9ヶ月前にも来てるんだけどね。
ここは、地域の交流の拠点になればと思い、僕が発起人となって3年前にオープンした場所だ。立ち寄った人たちがお喋りなどして、楽しんでもらえるようになっている。
今ではボランティアスタッフのお母さん方が、週に一回、運営を続けてくださっている。特にワンコインランチは好評。いつも豪勢な内容で、どれを食べても非常においしいのである。
僕は調理できないから、飲み物などが担当だったけど。久しぶりにコーヒーを淹れてみる。おいしくなーれー、おいしくなーれー、と。
道の駅に隣接して、JR九頭竜湖駅。日に5本しか走らない一両ディーゼルの、終着駅だ。
その隣には、おみやげ・情報コーナー等の施設。だったのだが昨夏、なんとコンビニがオープンしたという。
地区内には買い物できる場所が無かったというのに、何とも便利になってしまった。
思った以上に、ちゃんとコンビニだ。6-22時の営業だけど、充分。地区の皆さんも、助かっているようである。
さすがにコインランドリーは街に下りないといけないので、車を走らせる。一本の国道が走っているだけの交通だから、冬に雪崩でも起きると、通行止めになって地区が孤立してしまうこともある。
いまは中部縦貫自動車道という高速道路が建設中で、もともと何も無かったところにも、新たな建築物がどんどんできている。
周囲を山々に囲まれており、春は新緑・夏は深緑・秋は紅葉・冬は雪景色と、四季折々の風景を愉しめる。今年は、ぜんぜん雪が無いようだが。
ランドリーしたら、緑のふるさと協力隊時代の担当さん宅を訪ねてみる。理解のある方だったおかげで活動しやすかったし、奥さまやお子さんたちにもお世話になったのだ。
挨拶だけのつもりが、家に上がらせてもらい、食事もいただき、下の子とテレビゲームまでして寛いでしまった。ありがたいことである。
和泉地区へ戻る。近年は雪が少なく、スキー場のオープンも遅れることが多くなっている。草刈りやら搬器掛けやらレンタルスキーやら、色々な仕事を手伝ったね。
夜には、より処スタッフのお母さんたちを中心に、食事会を開いてくださった。年の瀬で忙しいなか、申し訳ない。
すごいごちそう。
自家栽培の野菜や地元食材を使った、手づくりの家庭料理・郷土料理の数々。どれも僕の大好物だ。全てが旨いのである。
わいわいお喋りしながら盛り上がり、最後に記念撮影。お一人、帰ってしまった後だったのが残念だが。良い写真だ。
12月30日(月)
地区内の人たちに、会えるだけ会いに行こう。
よく畑のお手伝いに行っていたお母さんを訪ねると、当初に配っていた自己紹介チラシを、まだ貼ってくれていた。嬉しいね。
ちなみに電話番号は当時のだから、お掛けになっても現在使われておりませぬ。
毎月発行していた活動日誌なども。
「嬉しいわー、よう来てくれた。夢でも見てるんじゃないか」なんて言ってくれて。こんな僕みたいなもんでも、顔を見せるだけで喜んでもらえるとは、感激である。
十数軒に顔を出させてもらったのだが、皆さん僕のことを覚えてくれていた。そして何かしら持たせてくれて、車いっぱい。気遣いが、何ともありがたすぎる。温かいなあ。
12月31日(火)
和泉地区を出る日だが、もう何軒か回る。
あるお宅では、お邪魔してお茶をいただき、ごはんもご馳走になってしまった。右のは、はさみ寿司・はさみ漬けなどと呼ばれる、雪国の越冬食だ。冬のごちそうだね。これも好きなんだよな。
まだまだ会いたい人は尽きなかったものの、時間である。
会う人あうひと、「おかえりー」「あら佐宗さん」「おー、たっちゃん」「元気だった?」「嬉しいわー」「(和泉に)早く戻って来いや」「またいつでも帰っておいで」などと声をかけてくれて、涙が出そうになる。
ああそうか、こうして温かく迎え入れてくれる人たちのいる地域を、「ふるさと」と呼ぶのだな。そんなことに気付いたのであった。
後ろ髪を引かれる思いだが出立し、
滋賀県は多賀町に移動。緑のふるさと協力隊OBが蕎麦屋さんをしており、何度か手伝いにも来ている。
で、今回も年越し営業のお仕事。2年前にも来ているから、どんだけ好きなんだという。まあ人手は足りなくなるし、馬の合う大将のためである。
すぐ近くには多賀大社という、伊勢神宮のピンチヒッター的な神社がある。大晦日から既にたくさんの人が訪れるので、そこからお客さんが流れてくるわけだ。
キッチンは大将、ホールは僕の二人体制。21時~翌2時の営業。だが終了間際に団体さんが入ったため3時くらいまで。片付けなどして、寝たのは4時半。大将はそば打ちのため、寝ずに作業を続ける。
1月1日(水)
もちろん元日も営業。8時起床で、準備を始める。外で注文・会計をするバイトくんが入ってくれたが、中は僕ひとり。盛り付け・串揚げ・配膳・片付け・皿洗いその他を担当する。
10時~16時の営業だったけど、13時半くらいからが死ぬほど忙しかった。本職でも近年、これほど大変だったことは無いが、1月1日からこれだけ仕事するのも幸先が良いということで。
まかない。シンプルに、かけそば大盛りをいただく。体に沁みて、旨い。
それから寿司。贅沢に300円皿を、何枚も食べてしまった。旨い。
実は年越し時、二人組で訪れたお客さんが一万円札を出して、釣りは要らねえよと言ってくれたのだ。何とも太っ腹。
忙しなかったので年を越した感覚も無く、大将と話す時間も無かったけど、ここでお別れ。またゆっくり、飲む機会でもあると良いね。
そして実家のある、東京都八王子市へ向けて出発。さすがに睡魔も襲ってくるため、何度か仮眠を取りながら、
1月2日(木)
早朝に到着。いつの間にか、イカツい新車に変わってるし。
着るものが無くなったのでコインランドリーして、寝たのは6時半。
昼前には起きて、氏神さまのところへ初詣。地域の小さな神社だ。キモカワな狛犬が、巷で話題だとか、そうでも無いとか。
ちなみに和泉地区の中心にあるのも、熊野神社である。
佐宗家で、同市内の祖父母宅へ。すぐ隣に川が流れており、先の台風では氾濫ギリギリだったものの持ち堪えてくれた。浦臼の人たちも、実家の方は大丈夫なのかと心配してくれていたのだ。
おせち・お雑煮をいただき、ようやく正月感が出てくる。
叔父夫妻・歳の離れた従妹たちも一緒に、恒例の記念撮影。うちの弟だけ欠けてるけど。例年は僕が、カナダやら福井やらに行ってて映ってなかったのだが。
夜には、恒例のすき焼き。お腹いっぱい、いただいた。平和な正月を過ごせるというのは、幸せなことだね。
1月3日(金)
深い睡眠を取ったら、日中はのんびりして、夜から新年会。高校時代の同級生たちと集まった。
誰かしらの結婚式やら、海に遊びに行くやら、年に数回は顔を合わせている連中。二次会まで行って、他愛も無い話をして、楽しむことができた。
1月4日(土)
午前中ゆっくりしたら、そろそろ北海道へ向けて出立する時だ。
福島県まで行って、一週間ぶりの車中泊。
1月5日(日)
青森県まで移動したら、十日ぶりのフェリー。
余裕をみて22時過ぎの便にしたので、到着は翌2時だ。さすがにお客さんも少なく、スタンダードクラスのタコ部屋も一人占めである。
函館の道の駅で車中泊したら、
1月6日(月)
朝、函館名物のハンバーガー店へ行ってみる。北海道を出てくるときは、時間に余裕が無くて寄れなかったのでな。
うまいわ。
違うお店で、こちらも名物らしい、やきとり弁当。タレが旨かった。
夜になって、浦臼に到着。家の中は冷え切っていた。出てくるとき水抜きをしたものの、充分で無かったらしく、水道が凍っている。ストーブ全開で家じゅう暖めるなどして、復旧させた。破裂してないだけ良かったね。
あっという間だった、12日間の年末年始休暇。北海道から、新潟・福井・滋賀・東京と巡り、車での移動距離は約3,200km。長時間の運転や車中泊で、腰が変な痛み方をしている。
過ごしやすかった本州と違い、北海道は気温マイナスだし、現実に戻るのが少し憂鬱ではある。しかし気の置けない人たちとたくさん会えて、気分はリフレッシュできた。それを糧に、また会える日を楽しみに、頑張っていくか。
※写真は、むかし友人がプレゼントしてくれたパーカー。まだ実家にあったので、持ってきた。作業着として使おう。
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